学校での教師の生活に少し慣れましたか?
子どもたちの様子は見えるようになりましたか?
職員室での先生たちとの関わりはどうですか?
子どもたちに対する難しさを実感するとしても,それは教師という職業を選んだ時から,少し覚悟していましたよね。
そう簡単に授業ができるわけでも,子どもたちが教えたからと言ってすべてを理解してくれるわけでもないだろうって。
だからこそ,教材研究をしたり,授業力向上のための研修や研究したりすることを厭わない。
子どもたちが,授業の中で一瞬見せる目の輝きや,わかったと実感できたであろう感覚が授業力向上の原動力になりますよね。
職員室での人間関係も難しい…
先生たちとの関係は,難しいですね。
事前に研究したりこれがベストなのかということがわからないから。
子ども相手と違って,大人としての価値観が加わることでコミュニケーションの取り方が格段に難しくなりますよね。
これは,学校という職場だけでなく,企業でも同じだと思います。
結局,大人の社会の中で全く違う価値観や経験をしている同僚と,どんな人間関係の中で仕事をするかということが仕事に対するモチベーションや頑張りを生むことにつながるからです。
相手が子どもなら「子どもなんだから仕方ないか」と余裕で思えることも「大人でしょ!」「教員でしょ!」と批判的に見てしまいます。
「教師なんだからできて当然」「言われなくても考えて当然」「失敗は許されない」という暗黙的な結果を求められているように感じていませんか?
先生は聖人君子ではありません。
閉鎖的な職場で仕事をしてきた人の経験知,自分もそうだったからという思いがあるからでしょう。
たくさんの失敗をしてきたからこそ,そのことから学んだことがあれば伝えて同じ失敗をしないようにしてほしいと思って言ったことが,「うるさい」「同じ失敗なんかするはずないのに,私が失敗したとでも言っているのか」と思われることが多かったです。
ただ,それを後輩である若い先生に押し付けるのは間違っていますよね。
(今は,それをパワハラというのでしょうが,そんなつもりはないのです)
相互理解が大切だと感じています。
自分の価値観だけが正しいと感じている先輩は,多様な価値観があることをしっかり考えていく必要があります。
一方で,私ならできると言い聞かせ,できない自分を認めたくない,「助けて」と言える雰囲気もなくて,アドバイスやねぎらいの言葉を待っているのにと思っていませんか?
先輩は後輩を批判し,後輩は先輩に不満を持つ。いつの時代もある構造です。
「みんな仲良くしよう」と言われた小学校
低学年の時に「みんな仲良くしよう」と刷り込まれた人間関係のあり方は,大人までしっかりあるべき姿として残っているのかもしれません。
何かトラブったら,先生が原因を聞き,お互いに譲歩して謝って関係を修復させる経験してきましたよね。
でも,本当は誰とでもうまくやっていけるとは限らないです。
うまくできないときには理由や原因を探って自分自信を納得させたいために,人のせいにしたり,自分を卑下したりすることによってネガティブな感情の渦に巻き込まれておぼれてしまいます。
そんな職場,楽しくあるはずもなく,ましてや頑張って仕事をしようとする気持ちになりません。
昔のように先生という立場の人が間に入って仲裁してもくれません。
だからこそ一人で苦しんでしまいがちです。
子どもと同じで,自分の感情に共感してくれること,承認してくれることを求めているのは,先輩も後輩も同じです。
でも,一人の力ではどうにもならないことや感情が生まれた場合,それと向き合い,「助けて」って言っていいのです。
折り合いをつけるって,お互いの感情や思いを受容しあい,違うことを認めながら妥協できる点を見つけることだと思います。
線分図の0の人と100の人がお互いに50という点で合致するのではなく,40と60でも妥協する。
20の違いはあるけど,それでも認め合える。
そんなイメージだと少し楽に折り合いをつけることができるのではないでしょうか。
最後に
人間関係はどこでも難しいものです。
職員室で同僚の先生方と話すことや議論すること等億劫に感じることもあるかもしれません。
ですが,困ったときに助けてくれるのもその同僚の先生方です。
たまにはぶつかることもあると思いますが,お互いに少しでもより添えられるといいですね。
皆さんが少しでも同僚の先生方とよい関係が築けることを願っています。



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